2008年2月27日水曜日

奥田 順子

もっとしなやかに もっとしたたかに

70年代後半に出現した、新しい価値観に基づく友だちのような新しい家族形態をニューファミリーと称していたが、本作での藤田敏八監督はこのニューファミリーの言動を否定的に描き、その中にひとりの少女を投げ込むことで、困惑し崩壊していく家族の様を見据えている。 妻に家出されただらしない男(奥田英二=現・瑛二)は、偶然拾った自称18歳のグルーピーの少女(森下愛子)をアパートに居候させる。失踪した妻(高沢順子)は実は男の親友(風間杜夫)を頼ってスーパーに職を見つけるが、結局は夫に発見されてしまう。 小悪魔・森下愛子の個性はこういうシチュエーションでこそ生きる。建前だけをとりつくろったニューファミリーに対して、その若い肉体だけを武器に活きる少女に扮した森下の、心地よい疑似家庭破壊ぶりには拍手を送りたくなるほどだ。(斉藤守彦)

昭和54年 日活映画森下愛子、奥田瑛二が主演する青春映画。藤田敏八監督だけあって、70年代の退廃的なムードが漂うが、80年代を目前に、この手の青春ドラマ自体が衰退していく頃の作品。そんな制作時の時代背景もあって、やや小粒なドラマ。奥田瑛二はこれがデビューとあって、とても初々しい。それに加えて、森下愛子のキュートで小悪魔的な魅力で、映画の厚みを出していた。リアルタイムで当時観たときは、切り口の鋭い青春群像と感嘆もしたが、今となっては、ストーリー展開やセリフ回しに古さを感じた。ただし、ラストの事故はかなり強烈。反体制的な主張が健在。

ニュー・ファミリー神話の崩壊を描いた藤田敏八監督ですが、今やニュー・ファミリー自体、死語になった現代には合わない作品かも。20数年ぶりに観ました。藤田敏八監督作品では「赤ちょうちん」と並んで好きな作品です。奥田英二、風間杜夫も私も若かった。(笑)しかも、そんなに好い役でもない2人が真剣に役作りしてます。そこに森下愛子や高沢順子が絡んでいい映画に仕上がってます。最後の場面のやるせなさは、当時は繋がりませんでしたが、今、見ると印象に残るラストです。

・・など、いろいろ評される映画だけど、あまりそんなことは、関係ない。関係なく観たい作品。当時の時代背景として、高度経済成長も、ひと段落して、日本という国の経済的地盤が出来上がってしまった頃、という感じがある。それほど、遮二無二働かなくても、生きていける、なんとか、やっていける時代とでもいうのか。その分、「何かになりたい、一旗あげたい」とか、若者っぽい成功願望というのが、薄れてくる時代の到来。カメラマン希望を挫折した英二氏も、女のケツばかりを追う、さえない男。育児を放棄して逃げた女房、ロックバンドの追っかけの愛子ちゃんなど、溜息がでるほど夢のない設定である。・・だけど、観てしまう。「自由って何だろう」とか考えながら。嫁さんに逃げられて、今、宅配やってるんだよ、なんて奴、友達にいそうだしね。不条理なラストも、「こんなもんだよな」って悟ったりして。

相当に保守性が強い作品のように見えて、一種の道徳批判のようにも受け取れる。友達関係のようなニューファミリーというが、この映画の夫は、結局家事やらなにやら全てを妻に押し付けて、妻は家事と育児でノイローゼ寸前で家を出て行く。しかし、子どもと家庭を放棄して出て行った妻に周囲が批判的なところは、時代の空気が出ている。日活の作品だから、森下愛子の肢体を見せるのはお約束だが、彼女の演技はなかなかいける。脇役もしっかりしているし、プロットも巧妙だ。最後は、彩子と父親との近親相姦までもが示唆される。伝統的家族の象徴とも言えるすし屋の主は、病院で息を引き取る直前、息子の嫁に息子を頼むとうわごとのように言うが、それを聞き届けるのは居候の少女なのである。要は、伝統的家族と家父長制の解体がテーマの作品なのだが、このシチュエーションは現代でも十分機能するだろう。森下愛子演ずる少女は、現代の家出少女に通じる、家族の枠組みにとらわれない自由な精神の象徴である。大変よく出来た作品で、藤田敏八の作品としては「赤ちょうちん」を上回る出来になっていると思う。

70年代に台頭したニュー・ファミリー神話の崩壊を描いた藤田敏八監督の傑作。とにかく、主人公の奥田英二(瑛二)を振り回す少女を演じた森下愛子の小悪魔的魅力が炸裂した映画だ。妻に逃げられ未練タラタラのくせに、彼女と一線を越えてしまう主人公の気持ちが痛いほど分る。それくらい魅力的。主人公の結末は、まんまニュー・ファミリーの終焉を意味する。

 ニュー・ファミリーの危機・核家族化などというと、今では死語に近い気がします。ただ当時は大問題で、その頃中学生だった私もこの映画の主人公達とは多少違うものの、危機を迎えていたといえます。そういう問題を早い時機に取り上げ作品に仕上げた藤田敏八監督は、やはり目の付けどころが違うと思います。 特に自分の親から逃げ出す森下愛子演ずる少女の軽やかさ、そして事故に遭い亡くなってしまう奥田瑛二演ずる男のある種のぶざまさの対比は面白い。なにか80年代以降の日本の女性と男性のあり方というか、生き方を暗示している様にも思われて感心します。 ロバート・レッドフォードの「普通の人々」が公開されたのは翌年のこと。本作がそれより1年も早く制作され公開されたというのは、結構凄い事のようにも思われます。70年代の邦画作品のなかでも、隠れた名作と言えるかもしれません。  

順子 奥田 奥田 順子